デザイナーは、結果と向き合わなければならない
2020年東京五輪エンブレム
私は、バウハウスの流れをくむデザインは好きですし、今回のデザインアプローチに対しても好感を持っています。
しかし、五輪大会のエンブレムは、大会の象徴として人々に愛されなければなりません。佐野さんの2020年東京五輪エンブレムは、結果的に大衆に十分に受け入れられませんでした。
プロのデザイナーである私たちは、この結果と向き合わなければならないとも思います。
今回のエンブレムのクォリティに対し、世間の評価はかなり厳しいと感じます。では、なぜこのような評価を下されているのか、考察してみました。
盗作疑惑
リエージュ劇場のロゴと東京五輪エンブレムの形状は、「似ている」と感じるのが一般的な感覚だと思います。*1しかしデザイナーである自分としては、その点は重要ではありませんでした。最終的な形状が似ていようと、そこに込められたメッセージが違うのが読み取れるからです。色や形状、関係性、なぜその選択に至ったのかの設計アプローチが全く異なります。また利用シーンや動的な展開力なども、圧倒的ですね。
東京五輪エンブレムのユニットシステム設計は、高く評価されるべき水準だと感じます。そしてその評価は、たとえリエージュ劇場のロゴデザインがインスピレーションを与えたとしても変わりません。
所詮、全てのデザイナーは他作品より与えられるインスピレーションから逃れられません。
ならば、各々のデザイナーが手がけたパートを評価すればよい訳で、リエージュ劇場のロゴデザインからインスピレーションを得た*2後の佐野さんオリジナルの仕事を、私は高く評価されるべき水準だと感じるんですね。*3
今回の盗作疑惑で、世間は大きく反応しました。ですがそれは、エンブレムが世間に対し十分な説得力を持っていなかった事がベースにあり、盗作疑惑はくすぶっていた世間の不満に火をつけたに過ぎないと思っています。
みんな招致ロゴを愛していた
2020年東京五輪の華やかな桜の招致ロゴは、美大生の作品だそうです。*4
日本を象徴する「桜」をモチーフにした招致ロゴを発表した。五輪カラーの赤、青、黄、緑に東京を表す「江戸むらさき」を加えた5色で世界をつなぐように輪を描いた。
(引用:東京五輪、招致ロゴは桜の輪 女子美大生作品)
このロゴのもと、日本国民は招致活動に励み、また夏季オリンピック招致決定に喜びました。桜の招致ロゴと日本国民には、一緒に歩んだ3年半の歴史があります。
この皆に愛されたロゴがある日突然、お役御免となって新たなエンブレムが発表されました。私は2020年の本番もこのロゴを使い続けるのだと思っていましたし、そう思っていた人も多いのではないでしょうか。
華やかなめでたい桜のロゴから、突然重厚な昭和を彷彿とさせるエンブレムに切り替わった訳です。
人は感情の生き物です。そして、一流のデザインは利用者の感情も設計されているものです。桜の招致ロゴのコンテクストは、審査員と応募者によって断ち切られてしまいました。
東京五輪エンブレムのコンテクスト
佐野は発表会見でも盗作問題へのコメントでも、日本のグラフィックデザインの草分け的存在だった亀倉雄策がデザインした1964年の五輪エンブレムへのリスペクトを強調している。
(引用:東京五輪エンブレムのパクリ疑惑を生み出したものとは? コンペ参加者にかけられた1964五輪と日の丸の呪縛!)
1972年札幌冬季五輪のロゴデザインをされている方ですね。
東京五輪デザインを踏襲するかたちで、日の丸と雪の結晶をタテに並べる設計のロゴです。
その他選考委員には、
- 浅葉克己(日本グラフィックデザイナー協会会長)
- 片山正通(インテリアデザイナー)
- 長嶋りかこ(グラフィックデザイナー)
- 真鍋大度(ライゾマティクス)
などだそうです。(参照:2020東京五輪 エンブレムデザインの募集開始 | )
真鍋さんを除くと、バウハウス系モダニズムの洗礼を受けた方々のようにお見受けします。*5
コンペで選ばれる為にはどういったデザインが有利なのか、選ばれたエンブレムはどうだったのか、選考員は何を求められていたのか。
歴史に残るシゴト、高い技巧力、先達に対するオマージュ、日本人の誇り。
ドリームチームが求めた方向性は正しかったのか。
1964年と現代
国際大会のエンブレムに、1964年と2020年の2つの東京を繋ぐ必要性を、自分は感じません。
1964年東京五輪、人々を一つにする象徴としての大会ロゴに日の丸を使ったのは、1964年という時代性が大きいと思います。
日本人が一丸となって、アジア初のオリンピックを成功させようというコンテクストには賛同できます。
しかしオリンピックの理念は
文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する
(オリンピズムより引用)
というものです。開催地は日本ではなく「東京」、東京五輪とは国際大会であり、日本人の内集団バイアスを高める「日の丸デザイン」をエンブレムに加える必要性はあったのでしょうか?*6
デザインとは、そぎ落とす事によって伝える力を最大化させる行為です。
誰のためのデザイン
五輪の大会エンブレムは毎回変わります。
つまり、求めるものは普遍性ではなく同時代性になるかと思います。
大会は多くの市民の協力によって運営されます。ならば、桜の招致ロゴのコンテクストを引き継ぐエンブレムという選定はなかったのでしょうか。
またオリンピックとは、世界のスポーツの祭典です。ならば、日本を象徴するアイコンをエンブレムから廃したオリンピズムのコンテクストを創りだす事は出来なかったのでしょうか。
今回、騒動がこれほど大きくなった根底には、「コンペ中心設計」「権威主義」に対する大衆の拒絶があると、私は捉えています。
誰のためのオリンピックであり、誰のためのデザインだったのか。
ネット上には、デザイナーからすると稚拙とも取れる批判があふれています。
しかしそれも含め、私達デザイナーは真摯に受け止めるべきではないでしょうか。